スリランカ通信(22) 「スリランカの某有名スーパーのレジの前で」

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スーパーのレジで会計の順番を待っている。
ぼくは3番目。
すぐ前には母娘の二人。
母親はボーっとして、娘はきょろきょろして後ろのぼくを見ては愛想笑いなど浮かべて、
次を待つ。
少しの買い物だ。
一番目の客は大量にカード買いしてる。
やっとその人のレジが終わって、それから次はすぐ終わるはず。
レジ係がどこかへ行った。
よくあるんだ。
客をほっといて、品物チェックしに行ったり、お金を両替したり。
だから、ランカのレジは時間がかかる。
袋詰めしていた、補助員も、しばらくぼーっとしたあと、袋を片づけたりしながら、どこへとなく去って行った。前の母娘は、レジ係が戻るのをじっと待っている。
だが、係はなかなか戻ってこない。ぼくは、しびれを切らして隣のレジへ移った。
そこは、たまたま、後続がいないから、すぐ順番が来る。
さっきのレジカウンターを見ると、まだ、母娘がボーっと立っている。
しばらくして、その二人も移ることにしたようだ。
娘が買い物かごを持ってきて、さっきまで並べていた物を入れ直した。別のレジに移った。
そして、そのレジには誰もいなくなった。
スペースだけを残して。

店員の誰も…レジ係も補助員もカート押しのおじさんも、私や前にいた母娘が、レジ係が戻ってくるのをじっと待っていたのに、それをみんな知っていて何も言わないで、どこかへ行ってしまった。
気がつかないふりでもなく、まったく我々の存在がないかのように、見事に、自然に、黙って、いなくなった。
お昼時でもあったし、休憩にでも入ったのだろうか。
店員のだれも「ここは閉まります」と教えてくれなかった。
待っていた母娘も、そのことを怒る風でもなく、「ああ、このレジは中止になったのね」と、やっと分かったというような顔で、別のレジへと移って行った。

あの、さっきのレジ係が戻ってくるだろうと、ボーっと待っていたあの時間。あれはいったい何だったのだろう。何も知らないで待っている客に対して「隣のレジへ行ってください」とも、何とも言わないのだ。そして、私の前でおなじようにボーっと待っていた母娘もそのボーっとした時間を当然のごとく受け止めて、他のレジへ移っていったのだった。

スリランカ人にとって、これは当然のあり方なのだろう。だが、日本人のぼくには納得がいかない。不可解極まりない所業なのだ。なぜひと声「このレジはここで休止します。他のレジに移ってください。」と言えないのか。客に対して失礼ではないのか。客である我々はいつかレジ係が戻ってくるだろうと思って待っているのだ。一言があれば、無駄な時間を過ごすことはなかった。そもそも、並ばせておいて、何も言わずに勝手にいなくなるとはどういうことなのだろう。ここで打ち切るつもりなら、「この人でこのレジは閉めますから他へまわってください。」と言うのが、親切な対応というか、当たり前の対応ではないか。それで、気持ちよく買い物ができ、また来ようとも思うのではないか。なぜ、わざわざ人を怒らすようなことをするのだ。

不思議なことのもう一つ。あの母娘だ。なぜ怒らないのだ。買い物かごからレジ台の上に物を並べて今にもお金の計算をしてもらえる状態をつくっておいて、じっと待っていたではないか。その行為を踏みにじられ、いつか戻って会計してくれるよねと思っていた気持ちを裏切られて、どうして文句の一つも言わないのだ。こんな仕打ちを受けても、怒らないで普通に受け止めたということは、母娘よ、君たちも他人に対してそのように振る舞うということなのか。レジ係がいなくなったら、ジーっと待っても、戻ってこなかったら「ああ、ここはもうレジをしないのね。」と自分で判断して、他のレジへ移ればいいということなのか。それでは、あまりにも冷たいさびしい人間関係ではないか。それは日本人だからそう思うのか。この人たちは思いやりとか人に対する気遣いとかそんなものがないんだろうか。いや、そんなことはない。以前、大学の旅行の時に借りたシーツをホテルに忘れてしまい、申し訳なく思って別のを買って返したのに、絶対に受け取ってくれなかった。親切というか、他人に対する思いやりは十分に持っている人たちなのだ。だが、それは知人に対してまでなのかもしれない。あくまでも、知っている人に対して向けられる感情・行為なのかもしれない。「店員と客」はまったく他人の関係なのだ。

このような文化を「不干渉の文化」と名付けよう。それはある限られたグループから外れた人々に対する距離の取り方なのだ。それは「不感症の文化」でもある。豊かな人間関係の奥行きというものが感じられない。関わらないようにしているのだ。これまでの、様々な軋轢を歴史的に体験してきた植民地の人々の生きる知恵、世渡り文化の一類型なのかもしれない。フィリピン人やミャンマー人にも共通する「素直な頬笑みのない世界」なのだ。タイ人の、屈託のない明るいスマイルとはわけが違う。スリランカの人たちは独特の首振りをする。顎を基軸にして頭を左右に振る。これはスリランカ人の「はい」の仕草なのだが、他国人から見たら「いいえ」と言っているように見える。よく観察すると、確かにNOの横に振る首振りではない。横振りのような斜め振りのようなあいまいな仕草である。この仕草こそ、彼らが植民地時代に身につけた、生きていく術ではなかったかと、私はにらんでいる。つまり、総督から命令されて本当は「NO」と言いたいが、そうすると殺されるので「これは『Yes』なんですよ」と、出そうな本音を押さえつけて、ごまかし続けてきた結果の産物なのであろうと推測する。そのような歴史的文化的な背景があるにちがいない。

この国の人たちは、自分に関わりない外の人たちに余計なことはしない。干渉しないことが一番だということを学んできたのだ。親切のつもりで他人に関わったりすると、後で自分が痛い目に会う。そんな経験を何度も繰り返してきたのだろう。おいそれと、見知らぬ他人に思いやりなど示してはならないのだ。それほど人間は甘くないんだよということを知っている。日本から南西へ向かうほど、そのことを思い知らされる。

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スリランカ通信(21)「故郷」

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スリランカの田園

「山のあなたの空遠く、幸いすむと人の言う…」(カール・ブッセ)

 日本を出て22年、岩手を離れて36年になる。来年は母校の創立100周年記念行事があるという。
 歴史と伝統:日々の積み重ねの中で培われてくるものであるからこそ大切にされるべきもの。だが、振り返ることが必ずしも幸せの彼方に導かれるとは限らない。忘れたい過去、触れられたくない過去というものもあるからだ。ただ、自分勝手に歴史や伝統を捻じ曲げて都合の良い解釈だけはすまいと思う。すべてを捨象してしまったお祭り騒ぎの記念行事にはなってほしくない。これまでの100年の歩み、その営為を真摯に見つめなおす機会とするのはいかがだろうか。故郷:今のぼくには帰り住みつく場所がない。住みつきたい候補地はいくつかある。タイのチェンマイ、フランスのトゥール、ここスリランカのキャンディもいい。だが、いまだに彷徨っている。落ちつく場所がないぼくは不幸なのだろうか。青い鳥を追いかけて故郷を飛び出したのはいいけれど「山のあな、あな、あな…」とどもりながら、落とし穴にはまってしまっているのかもしれない。 
 

 「故郷は遠きにありて思ふもの、そして悲しく歌ふもの…」と詠んだ犀星ほど、故郷に対する辛く複雑な思いはぼくにはない。だが、故郷を離れて暮らすものの心境、その真髄を実に見事にとらえた詩だと思う。
 「故郷」はそこを離れた瞬間から、必然的に意識されてくる言葉だ。帰るべき「ところ」であり、しかし、帰っていけない「場所」なのだ。(「帰っていけない」は「行くことができない」と「帰ってはだめ」という両義性を持つ。)情念としての「ところ」と現実の「場所」との葛藤の中で「悲しく歌われる」ものが「故郷」なのだろう。 
 

 「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川…」心が洗われるような歌、「故郷」。だが、今、現実の故郷には「かの山」も「かの川」もない。蛍も住めない世界になっているらしい。確かに子供のころ遊んだ川がなくなっている。狭苦しい水路に変身していた。
 近々、高校時代の同級生が講演をする。やはり同じ高校の他の同級生が運営する掲示板で知った。講演者は○命△大学教授のK.O君。なんでもノックアウトするからK.O君というのではない。ただのイニシャルにすぎない。彼は心優しいスポーツマン。もちろん学校の成績もNO.1だった。同級生がやる講演だから参加するというだけではなく、彼の仕事に注目したい。エコロジカルな視点を持つ彼の研究は、日本の壊れてしまった自然をよみがえらせるきっかけとなるかもしれない。少なくてもヒントを提供してくれるはずだ。 

 
 今のところ、ヴァーチャルな世界でしか、故郷を感得できない。同級生のあの掲示板が、最も故郷のにおいがする。 

「ふるさとの訛りなつかし掲示板、人眠る夜そを読みにいく」青沼啄木

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田舎の駄菓子屋さん

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スリランカ通信(20)   「月の中のウサギ」

 日本のお月さまの中ではウサギが餅つきをしていることになっているが、スリランカのお月さまの中ではウサギが座っているのだそうである。いずれにしても、日本でもスリランカでもお月さまの中にウサギを見ていたというのは面白い。
 スリランカでは満月の日(29日から30日ごとにやってくる)はポーヤ・ディと呼ばれて国民の休日になっている。多くのシンハラ人はお寺へ参拝に行く。

「むかし、むかし、ウサギとサルとカワウソの三匹が川のそばの森に住んでいました。」で始まるスリランカの民話がある。「月の中のウサギ」だ。あらすじを紹介しよう。
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 三匹は他の動物と同じように、一日中食べ物をさがしまわっている。夕方になると川岸に座って、一日の出来事を話し合うのが習慣になっていた。三匹の中で賢く性格の良いのはウサギだった。このウサギは自分の生き方を教えようとしていた。サルとカワウソはウサギの素晴らしさを知っていたのでウサギのいうとおりにしてきた。三匹はポーヤ・ディの教えを守ってその日は殺生しなかった。その前日までにカワウソは魚を、サルは蜂の巣をウサギは草を数本、準備するようにしていた。ウサギは言った。
「欲している人に何かを与えるのは良いことです。少なくともポーヤ・ディにはそうしなくてはなりません。」
カワウソが言った。
「もし今日誰かが来たらわたしの魚をあげよう。」
サルも言った。
「もし今日誰かが来たらわたしの蜂の巣をあげよう。」
しかし、ウサギは悲しくなった。自分には草の葉しかない。誰が葉っぱなど欲しがるだろう。与えるものがない。ウサギは言った。
「人間はわたしの肉が好きだからお腹をすかせた人が来たら私の肉を焼いてあげよう。」
カワウソとサルはふるえあがり泣いて反対したが、ウサギの決心は揺るがなかった。
 あるポーヤの日、ひもじそうな老人が川のそばにやってきた。サルは蜂の巣を与えた。カワウソは魚を与えた。しかし老人は言った。
「私はまだお腹がすいています。もっと私にくれるものはないですか。」
ウサギがついに前に出て言った。
「私たちにはもうこれ以上さし上げるものはありません。でも、わたしの肉をあげることはできます。どうぞ、私を焼いてください。」
それから、サルとカワウソに近づいて言った。
「私のことを悲しまないで。私たちはいつか死にます。私たちは一緒に教えを守りました。たくさん良い行いもしました。私がいなくなっても良い行いを続けて幸せになってください。」
 ウサギが火の中に飛び込んだ瞬間、老人がウサギを腕の中に抱きとめた。それから川の中の長い葦を折り取って、ウサギを抱えたまま空に昇って行った。月の面にその葦でウサギの絵を描いた。
「この素晴らしい贈り物を世界中の人々が覚えておくように、世界中の人々がこの与えるという究極の姿を忘れないように。」
 老人は神様だったのです。神はウサギを地上に下ろし、仲間のところにもどしてから天国へ帰っていった。
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 長い間続いていたスリランカの内戦が終結した。これからはテロの恐怖におびえずにのびのびと暮らしていけるのだろう。わたしの学生にとっては生まれたときからの戦争状態。初めてかみ締める平和な生活。うれしさがこみ上げてくる気持ちは無理もない。スリランカでもっとも有名な人物はと聞いたところ、だれもがラジャパクサ大統領の名前をすぐさま挙げた。

 大きな戦争を経験している日本だが、戦無派の私にはなかなか分からない部分でもある。
コロンボ市内では連日、爆竹が鳴りパレードが行われている。それぞれが浮かれて踊りまくって喜びを表している。「平和」本当にそれは貴重なものだと思う。
 だが、これまで何人の犠牲者がいたのだろうか。この数ヶ月間は強攻策によって多くの難民を出し、国際的な批判も浴びている。
 力で勝ち取った平和だった。

 1951年のサンフランシスコ講和会議に当時のセイロン代表として出席したジャヤワルダナ氏は、スリランカの被害や損害について日本に賠償を求めるべきだが、その権利を行使するつもりはないとした。その理由は、「憎しみは憎しみによって止むことなく、愛によって止む」という言葉があるからだと言った。
 その言葉が私の脳裏を横切った。

 月の中の「ウサギ」はどんな思いで、この終戦を見ているのだろう。

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下町のお寺

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スリランカ通信(19)           「ケラニア大学騒動記」         きみは催涙ガスを浴びせられたことがあるか

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ケラニア大学ゲート

 スリランカの大学ではどこもかしこも、ストライキがあったり、ケンカがあったり、イジメがあったりする。施設が不備だとか、講義がしっかりなされていないとか、大学側の問題は確かにある。だが、最も大きな学生の不満は「差別」に対してのようである。往々にしてコロンボを中心とした都会の住人はさまざまな恩恵を受けているようである。それに対して地方出身の学生は妬み?を持ち、何かにつけて抗議行動を起こすということだ。自治会の中の権力争いもある。その他にも政党のセクトが関係していたりするケースもあり、複雑に絡み合って事件が起きる。私は2007年にケラニア大学に赴任して4タームをこなしてきたが、1つの学期中で1度もスムーズに授業が進んだためしがない。

 新入生を迎える学期始めは必ずイジメがある。このイジメは堂々と公道で行われる。新入生の特に女子学生が先輩の男子学生に学内の路上で呼び止められ、1時間、2時間と説教される。この時期、大学を訪問すればすぐ分かる。歩道側に先輩の学生たち(その数、数十人)が立ち並び、新入生が通るのを待ち構えている。そして、次々と呼び止めて、服装や髪形にいちゃもんつけたり、態度やマナーについて訓示を垂れたりする。そういう連中ほどマナーという言葉からは程遠い輩なのだが……。とにかく、新入生としては授業に行きたくても行けない。頭をうなだれてじっと聞いているしかない。無視したら後が怖い。このイジメはケラニア大学だけではなくスリランカの複数の大学の悪習になっている。このために大学に来なくなり、ついには退学した学生もいるとのことだ。つまらない虚栄心や先輩風の犠牲になって人生を狂わされる人もいるのである。このイジメ、少なくても1カ月以上続く。大学側も放って置いているわけではなさそうだ(と思いたい)が、これといった決め手を出せずにいる。

 昨年は学期の途中で学生同士のケンカがあった。理学部と人文学部の学生の争いだった。原因は先に紹介したイジメについて両学部の「意見の食い違い」である。大学側は制裁として2週間大学を閉鎖した。その禁が解かれて1カ月後、その処分に不満を持った学生たちのストライキがあり、これまた、1週間、休講を余儀なくされた。

 今回は数日前から前兆があった。学生集会が開かれた。大学周辺を警官がうろつき学生に質問してメモを取ったりしていた。小さなけんかも起きていた。2月5日は1000人ほどの学生が集まった。その中で起きた騒動である。

 午後の講義を終えた。環境問題について学生らと議論を戦わせた後だった。私の学生たちは地球温暖化や環境汚染にも強く関心を持っている、政府の対策がどこまで進んでいるか、我々個人がどんなことができるかといったテーマで白熱した議論となり、私自身も満足して終わったところだった。教室から講師室へ戻る途中で、目が痛くなる。他の人たちも目を押さえたり、口を押さえたりしている。ハンカチで涙を拭いながら顔をゆがめている人もいる。異臭も感じた。なんだ、これは?異変が起きているぞ!!

 講師室で事情を聴く。大学生同士のケンカがおきて、それを止めに入った警官が催涙ガスを撒き散らしたようである。時々、「キャアー」という悲鳴と共に、どどっと押し寄せる足音が聞こえる。建物から外へ出た学生たちが、催涙ガスの投下を浴びて校舎内に逃げ戻って来るのだ。しかし、ガスは煙幕となって風に乗り、我々の眼を赤くする。窓からも霧のようなガスが室内に押し寄せてくる。その度に目が痛くなる。数回、そんなことが繰り返されて後、少し静かになった。

 4時ごろ、お坊さん先生の「少し落ち着いたようだ。今なら出られるかもしれない」という言葉を信じて、私は同僚のKY先生と退出態勢に入る。KY先生は同僚といっても1周り年上。同郷のよしみもあり敬意を表している。岩手出身である。何と奇遇であることか。この先生、細面の優男なのであまり頼りになりそうもないが、一人より二人の方が心強い。一緒に騒動の中を突破することにした。校舎内外に学生がうろうろしている。もちろん授業にならない。他の先生たちはじっと動かず待機。帰り支度が整い、いよいよ出発。

 さざ波、うつろいでいる学生たちを掻き分け外へ出る。人だかりの山だ。ここもまた掻き分けて前へ進む。後、10数メートルで最前線へ出る、というところで「Don’t go!!」という声がした。事務員に危ないから行くなと注意されたのである。その声を聞いた私はKY先生を引き止めようとするが、彼はわき目も振らずどんどん進んでいく。私もしかたなく腹をくくって後についていく。ついに最前線に出た。ゲートが閉められている。そのゲートを挟んで学生たちと警官らがにらみ合っていた。学生の数100名ぐらいか、警官は20名足らず。学生たちは警官に向かって口々に罵声をあびせている。それに食いつくかのように警官も脅しをかけている。その間に挟まれた緩衝地帯、わずか10メートル。警官らがいるゲートの外側に向かって我らは進む。「我ら」というより、「KY先生の堂々とした姿の後ろを私は影のようにコソコソ追い従う」というのが正しい表現なのだが…。前門のトラ、警官らの鋭い視線が怖い。目を合わせないように、ひたすらKY先生の身体を盾にしながら進む。後門の狼たち、学生の罵声が背後から聞こえる。まるで、その罵声が自分に浴びせられているようで足がひるんでしまう。KY先生に寄りすがりながら何とかゲートの狭い隙間を通過した。

 一安心。ゲートを渡り終わったときは、思わず小走りに……。情けない自分の姿をみてしまったのだった。それにしても、こうした膠着状態とはいえ、一触発の場面を、よく泳ぎきったものである。人文学部の敷地は警官に包囲され、過激派学生の後にいる一般学生も、校舎内に残っている教員たちも、帰りたくても帰れず、うろうろするばかりの所だったのである。そんな中を堂々と通り抜けたKY先生、全共闘世代だった。「昔を思い出すなあ」と言いながら、ひょうひょうと学生、警官のにらみ合いの中を過ぎた。あちきもその後をコソコソと。我が先輩の腹の据わった態度、奥ゆかしくもたくましい魂を見せ付けられたのだった。

 バス通りからキャンパスに入る側道には石ころ、コンクリートなどの瓦礫が散乱している。学生たちと警官らが激しくやりあった跡が生々しく残っていた。KY先生、「日本の3,40年前だなあ」ボソッとつぶやく。「イチゴ白書」がフラッシュバックする。我が学生時代にも機動隊と学生の衝突があった。目の当たりにしている。シュプレヒコール、ジグザグデモ、大衆団交、そんな言葉が頭をよぎる。KY先生と私は、大学の前に居座っている仏像を脇目で見ながら、メインロードのバス停に向かう帰路を急いだ。

 後日、騒動の原因を聞いた。実は発端の真相はいまだに不明。13名の学生が逮捕された(一週間は確実に拘留されるとか)。そのうち8名が女子大生(6名が1年生)。報道陣が駆けつけ、テレビでも放映された。警官の行きすぎもあったらしい。必要以上の暴行。女子寮への男警官の侵入。(スリランカの法律では女子寮に踏み込む際は女の警察官でなければいけないことになっている。)このことが学生たちの怒りを倍化し騒動が激化した模様である。催涙ガス弾は20発以上撃ち込まれたとのことだ。

注:KY先生は「空気が読めない」先生ではありません。イニシャルです。念のため。

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学生と警官が衝突した場所

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スリランカ通信(18)お正月特別企画    「セレンディピティ」

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スリランカ国立博物館

 あなたとわたしの「出会い」が必然なのか偶然なのかはさておき(必然に支配された偶然だとか、偶然の中の必然だ、などという声も聞こえてきそうだが)、「出会ってしまった」という事実がある限りー(その良し悪しは当事者が決めるとして)ーこれは消し去ることができない。「出会い」というものが一方通行でないことはすぐ分かる。「人」と「人」であれ、「人」と「事物」であれ、相手がいる(ある)のだ。その相手を見分ける、嗅ぎ分ける力のある人とない人とで、「出会い」の価値は大きく異なるであろう。

 例えば、Aさんが「出会い」の相手に優れたものを見出せば、Aさんにとってその価値はとてつもない宝物に匹敵することになる。しかし、その同じ相手にBさんが出会っても、Bさんが価値を見出さなければその出会いは無意味なものになる。無意味なだけならいいが、障害にさえなるかもしれない。つまり、「会わなきゃよかった」なんてことになる。したがって、「人生は出会いだ」などと言ったところで、その出会いを有意義にするお互いの資質というか力量というか、そのような能力を身につけておかないとせっかくの「出会い」もふいになってしまうのである。

 優れもの、ほりだしものに偶然出会い、発見すること(あるいはその能力)を「セレンディピティ」(serendipity)という。なかなか日本語には訳しづらい言葉だ。「セレンディピティ」は今日、自然科学の分野で注目されている能力であるが、生活一般、人間関係にも適用され得るものである。この「セレンディピティ」の語源は実はスリランカなのである。すでにご承知とは思うが、スリランカは1972年以前にはセイロンと呼ばれていた。しかし、いわゆる西洋の歴史でいうところの「大航海時代」にはアラブ商人たちの間で「セレンディップ」と名づけられていたそうである。その当時、この国には「セレンディップの三人の王子様」という民話があった。この話は三人の王子たちが自分たちの求めていないものに偶然出会い、幸福をつかんでいくというものである。この話を知ったホラス・ウォルポールというイギリスの作家(18世紀)が、思わぬ幸運に出会うという「出会い」そのもの、あるいは、それに出会う能力(発見する能力)を「セレンディピティ」と名づけたところから始まるのだそうだ。

 スリランカという国は、この「セレンディピティ」の語源にもなっていることからしてか、思わぬ出会いを予感させるところである。小さい島ながら(北海道を一回り小さくしたぐらいしかない)、自然や民族、文化の多様性という点では、まさしく「小宇宙」を形成しているといっても過言ではない。映画「2001年宇宙の旅」の原作者であるアーサー・C・クラークは自ら「セレンディピティ」を体験してスリランカに住み着いたという。彼にとってはスリランカという国自体が「セレンディピティ」(ほりだしもの)だった訳だ。

 もっとも最初から「セレンディピティ」を期待して活動するのでは、たとえ掘り出しものが発見されたとしても、それは「セレンディピティ」にはならないということは肝に銘じておかなければならない。ある目的を持って「それ」を追いかけているうちに別の価値あるものを発見するというのが、「セレンディピティ」の「セレンディピティ」たるゆえんなのである。

 今、あなたが出会っているその人(もの)は「優れもの」か「ほりだしもの」か、それを見つける能力があなたにあるかどうか。今一度、他(人)を見つめ、自分を振り返ってみよう。

 「セレンディピティ」に気付く能力、身につけられれば人生はより豊かになる。


 さあ、キミ、そこのキミも、部屋に閉じこもっていないで、
「PC捨てて街へ出よう」
新しい出会い、思いがけない出会いがキミを待っているよ。
(いやあ、だからそれは違うんだって…)
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巨大コーラのビン出現


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スリランカ通信(17)クリスマス特別企画「私の部屋」

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私の部屋

 「私の部屋」などと言うと、うら若き乙女の独身生活が覗けると勘違いしてアクセスする中高年(若年層も?)のオジサマの姿を想像してしまうが、確かに「私の部屋」なのでいたしかたない。今回は皆様へのクリスマスプレゼントとして私の部屋を限定公開する。かつて旧友の寿夫君が「私の部屋」というブティックというか女子高生向けの小物の店をオープンして、小生も駆けつけた記憶があるが、あの類のものではなく正真証明の私の住んでいる部屋である。

 海外に住んでいる日本人は大まかに3つのタイプに分けられる。①現地の方と結婚され地元に根付いている日本人。②現地の人と同じ条件で仕事をして生活をしている日本人。③日本から送り込まれ数年で帰国が約束されている日系企業や政府関係機関の派遣者。以上の3者である。私は①の経験はないが②と③の経験がある。先進国では、それほど大きな差はないが、発展途上国では②と③では暮らし向きが大きく異なる。生活費が日本とは随分かけ離れているからだ。③のケースでは日本と同じ給料をいただくことになるから、やりかたによっては贅沢三昧?できる。当然②との生活格差が激しくなる。給料は②の場合は③の5分の一から10分の一、家賃は②の人が多く住んでいるのは1カ月1万円くらいのアパート(一間、シャワーのみ)に対して、③の場合は2LDK~4LDKで、その他、運転手が付いたり、メイドがいたりするのである。

 普通の暮らしぶりの紹介でなければ、「私の部屋」は分からない。現地採用で働く外国人はアネックスと呼ばれる2世代住宅のような造りの建物に住む。1階に大家がいて2階のスペースを借りて住むのだ。1LDKから2LDKで1万円から2万円くらい。しかし。給料のことを考えると厳しい条件だ。それに、雨漏りがしたり、アリがやってきたり、ヤモリ,蚊などの侵入者もいる。毎日、いろいろな格闘があるようだ。

 私の部屋は10階建てのアパートメントの8階にある。駐車場、プール付きでガードマンが3~4人、24時間の警備体制で安全も確保されている。このアパートはワードプレイスという高級住宅街の一角にある。近くには高等教育省、フィンランド大使館、アーユルベーダの店もある。コロンボで有名な「オデール」というデパートまで歩いて10分の所である。部屋は3ベッドルーム、リビング,台所、収納室、メイド部屋もある。しかし、私はメイドを雇わず、車も持たず、一人静かにつつましく暮らしている。快適な環境だ。特に問題ないが、部屋が広すぎて掃除に苦労している。もともと無精なのでほとんど掃除をせず汚くしている。料理もあまりしない。近くにスーパーがないので買い物に不便ということもある。一週間分買い置きして食べやすいものを食べる。「聡明な女は料理がうまい」と言った作家がいたが、「聡明な男は何が上手」なのだろう。せめて、それにあやかりたいものである。一人でいるのは好きなのだが、一人暮らしは上手ではないのだ。それで、困っている。
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私が住んでるマンション

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スリランカ通信(16) 人物オーライ??往来!?All Right !!             「リッチモンド・キャッスルの住人」

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講堂


 映画のタイトルみたいだ。リッチモンド・キャッスル。王宮とかキングパレスとも呼ばれている中世の貴族の城がある。広い庭園。奥には深い森。屋敷は中世の館。実際に映画のロケにしばしば使われるらしい。数年前にはイタリアの映画チームがやってきて撮影したという。

 カルタラの町。コロンボからハイウェイバスで1時間の所。狭い、それでもバスが通っているという小路から、さらに脇道に逸れて小高い丘を登っていく。年寄りが歩くにはきつい斜面。ふうふう言ってたどり着いたところにこのお城はあった。

 邸内は広い。背後に森を抱えているこの屋敷はまさしくお城だ。今回の2番バッターはこの王宮に住むアリーさんだ。韋駄天のごとくリッチモンドの森を駆け巡り、青少年の育成を見守る姿は、俊足にして手堅い守備を誇る2番バッターに匹敵する。

――なんともすごい屋敷ですね…
A: そうですね。昔のイギリスの植民地時代のものですから古いことは古いですが、しっかりした建物です。
――あのステンドグラス(天井近くの壁にはめてある)、スリランカのものではなさそうですが。
A: ここを建てる時にわざわざスイスから取り寄せたものだそうです。船で数ヶ月かかったそうですが。
――少年の家を経営されているんですね。
A:ええ、前は50人程いたんですが、今は3人だけです。今度20人入る予定です。
――みなさん、ご両親がいらっしゃらないとかですか。
A: 貧しい家の少年たちです。6才から17才まで預かってここで勉強を教えています。
――卒業後はどうしてますか。
A: 家に帰って仕事をしたり、また勉強を続ける子もいます。医者になった子もいるんですよ。
――少年の家とおっしゃっていますが、少年だけですか。少女はいらっしゃらない?
A: この城の持ち主だったイギリス人の遺言なんです。少年だけの面倒を見る。少女はダメ。
――それはどうしてですか。
A: 実はその昔、彼の奥さんだった人が、お抱え運転手と駆け落ちしたということがあって、それ以来、女性不信に陥ったようなんですね。
――なるほど、相当ショックだったんですね。遺言にまで入れるなんて…。
  政府のバックアップはあるんですか。
A: 1956年から援助を受けています。しかし、屋敷のメンテナンスだけです。それも、ご覧いただければ分かりますが、十分ではありません。福祉の知らない人が口は出してもお金は出してくれないんです。
――そうですか。どこの国も同じですね。では、どうやって経営を維持しているんですか。
A:ここは自然に恵まれています。広大な土地がある。この施設はここでゴムやココナッツを売って収入を得ているんです。政府からはお金をもらっていない。
――そうですか。なかなか厳しいようですね。
A:ええ、そうです。しかし、私には仲間がいます。ここの財団は仲間と4人で作ったのです。将来、これを発展させて行きたいと思っています。
(インタビュー後記)
 アリーさんはお年以上に若く見える。その秘訣は楽観的な気持ちを忘れないことだという。いやなことがあってもくよくよしない。もともと最初から何もなかったから、失うものもない。ただひたすら自分の信念に基づいて福祉の仕事に専念している、とのことだ。最近は遺言に背いて少女も受け入れているらしい。素晴らしい人生だ。彼と話していると自分まで穏やかな気持ちになって、心が洗われていくようだ。アリーさんの人生に乾杯。   
 人生は出会い。人生は旅。出会いの旅はまた続く。

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上:教室、下:アリーさん

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スリランカ通信(15) 人物オーライ??往来!?All right!!

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ディルさん


 人生の楽しみって何だろう。それは人それぞれ違う。だが、だれもが認める楽しみ、共通の楽しみ、それは「出会い」だと思う。世の中には自分と似たような人物が3人いるといわれるが、ある程度長く生きてくると同じタイプの人に出会う。よく見ると違うのだが、その人を見ていると遠い昔に出会ったあの人を思い出したりする。

 「一期一会」という言葉がある。何度も会っている人物であっても、その時の出会いはその瞬間限りのもの。それはいつも同じものではないから、大切にしようというものだ。海外に暮らしてもそれは同じだ。出会いはいろいろな方角から様々な時を経て、形を変えてやってくる。その瞬間を切り取ってみたいと思った。

 トップバッターはイチロウに匹敵する天才的言語のプレイヤーであるディルさん。

――今日はお忙しいところ、ありがとうございます。
デ「こちらこそ、こんな狭いブログにお招きいただき……少々きゅうくつですわね。」

――早速ですが、理想の男性は…
デ「それはもう、あおちゃんのように、やさしくて思いやりがあって頼りがいのない人ですわ、おほほ。」

――日本語が大変お上手ですが、
デ「あ~ら、そんなことはありません、まだまだです。高校で2年、大学で3年、日本でも3年ほど勉強させていただきましたので、まあ、人並みにはなってきたかとなあ、と。」

――子どものころはどんなお子さんでしたか。
デ「みんなからできる子と思われていて、そのイメージを守るために努力してきたというか、でも、もともと明るい性格だったと思いますので…。」

――その頃の夢は
デ「お医者さんになりたかったんです。困っている人を助けるような仕事をしたかったんですけど、でも、理科系がそこまで行かなくて、あきらめました。」

――日本語を学び始めたきっかけは
デ「高校の頃から言語に興味があっていくつか試みました。フランス語や中国語も勉強しました。でも、日本語が一番、親しみがもてたんです。」

――ご結婚なさっていますか。
デ「まあ、答えにくい質問ですこと。まだです、と言えば、殿方にもてないみたいですし、してます、と言えば恋のキューピットが逃げていきますし…、どうしましょう、困りましたわ。」

――???(気を取り直して)趣味とか特別に関心を持っていることはありますか。
デ「歌を聴くことです。特にシンハラ語の歌。やはり、意味が分かることが一番ですから。それと、やっぱり、教えることが好きですから、暇があるとそのことばかり考えていますね。」

――自分は何か他の人と違うなあと思うことがありますか。
デ「ええ、そうですねえ、なんというかなあ、いやな人と上手に付き合えないというか、話が合わない人とはだめですねえ。結構、みなさん、うまくやっているんでしょうけど、わたしはだめですね。」

――今、大切に思っていることは何ですか。
デ「学位です。日本の学位をとりたい。それと、やはり、教えること。学生に役立つものを上手に教えたいです。」

(インタビューを終えて)
ディルさんはケラニア大学の主任講師であり、名古屋大学の博士後期課程に在籍する院生でもある。明るくはきはきした性格は周りの教員や学生から親しまれ、頼りにされている。日本人の機微をも理解する日本語の達人でもある。彼女のリーダーシップにより学生たちは生き生きしていると周囲の評価も高い。彼女のような存在がスリランカの日本語教育を支えていく限り、将来は安心である。一日も早く学位を取り、日本語教育に専念できる日を心よりお待ち申し上げたい。

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スリランカ通信(14) リフレッシュ in キャンディ(4)「独白」

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雨に煙るキャンディ

 旅の終わりも雨の日がいい。高野悦子が言ったわけではない。流れた涙をごまかせるからと言うわけでもない。ましてや雨具を忘れることがないからでもない。雨は人を包む羊水なのだ。カラカラに乾いた俺のような心にはその一滴が命の泉となる。

 人の弱みにつけ入り、もてあそび、自己満足の花を咲かせた俺に、最もふさわしい報酬を失恋男はくれたのだった。実は気づいていた。やつがウィートレスに色目を使っていたことを。それで、あえてウェートレスに意地悪をしたのだった。彼女には悪いことをした。直接、やつに当たるべきだったのだ。失恋という重い出来事を軽々しく扱うやつに説教してやるべきだったのだ。

 この失恋男、もともと成り行きで付き合ってきた飲み友達だ。信頼を置いていたとか、尊敬に値する人物だとか思っていたわけではない。

 もう限界だったのかもしれない、やつのわがままに付き合うのが。すぐ人を好きになって何もかも忘れて夢中になる。そんなやつをうらやましいと思いながらも、どこかで軽蔑していたのかもしれない。やつから何かを得られるとか、やつと一緒にいると時間を忘れるとか、そういうことが無くなっていた。一方的に自分の話しをして満足して帰るやつに愛想が尽きていたのかもしれない。やつの失恋話を聞いて俺は同情した。だが、どうしても同じように落ち込めなかったのだ。

 人が人を好きになるってどういうことなのだろう。もし、やつが本当にやつの彼女を愛しているのなら、彼女がやつを愛していなくてもいいんじゃないのか。彼女がやつを愛してくれないから、やつも彼女に対する愛が無くなってしまうというのか。それって、もともと、やつは彼女を愛しているのではなくて、彼女から愛されたいがための口実を作っていたに過ぎないんじゃないか。本当に愛していたと言うのなら、彼女がやつを好きじゃないとしても失恋なんかするはずがないじゃないか。

 まあ、世間では、自分が好きでも相手が好きでなくなっていたら、それは「失恋」というものだ。そんなことは分かっている。だけど、そんな恋愛って自分勝手すぎないか。そんなやつには本当は他人を愛する資格なんてないんだ。自分で自分を愛せないから、彼女に愛してもらいたかっただけじゃないのか。もし、やつが本当に自分を愛しているのなら、他人に自分を愛させようとすることはないはずだ。なぜって、他人に愛を強要するような自分を自分自身で好きになれるかい。彼女がどうであろうと、やつは彼女を愛している。それでいいじゃないか。

見返りを期待して人を好きになるわけじゃないだろう…。
とは言っても、好きになったら求めるか、やっぱり…。
もっと違う形があってもいいんじゃないかな…。

この場合、どうして特定の「だれか」なのだろう……。
どうして「その人」でなければだめなのだろうか……。

雨に煙る古都、キャンディ。
優しく人を包んでくれる街だ。

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スリランカ通信(13)  リフレッシュ in キャンディ(3)「キャンディ湖畔」

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かわいい女の子


 外へ出てキャンディ湖畔を歩く。湿気が少なく風が涼しい。コロンボのじめっとした重苦しい空気ではない。爽快感漂う。やはり、ここは失恋男と来る所ではないのだ。俺は、昔愛した女と歩いている場面を想像して気分が高揚してきていた。それを現実に引き戻すバカが隣でわめく。

 「アホヌマさん、ぼくはね、彼女ではなく、彼女の幻影に恋してたのかもしれないな。ぼくの作り上げた幻影を…。」
 失恋男は過去を回想するかのように視線を宙に漂わせ、しみじみとした調子で言う。自分の言葉に酔っているようだ。幻影なんて言葉、どこで覚えやがったんだ。それにしても、やつの発音が気になる。「アオヌマ」なのに「アホヌマ」と聞こえる。まさか、わざとじゃあるまいな。

(つまらぬやつだ。だから、お前はふられるんだ。)と、でかかった言葉を飲み込んで、
「つまら、いやぁ、つまり、お前は恋に恋してたってわけだな。じゃあ、もう、大丈夫だろう。すぐ立ち直れるよ。」俺は励ますふりをして応えてやった。
「新しい恋がすぐみつかるさ。また、恋に恋かも知れんけど…。」
(そして、事実、本当にすぐ見つかったのだった。)

 腹ごしらえに近くのレストランへ行く。やつの気分もほぐれてきたようだし、この辺でビールでも飲みながら更にリフレッシュ気分に浸らせてやろうと店に入るが、数件回ってもアルコール類は置いてなかった。お寺の近くのためだろうか。しかたなく、最後に行き着いた店で、フライドライスに中華料理のぶっ掛けごはんとコーラ、それと、デザートにアイスクリームとフルーツを頼む。

 一皿の量が多い。サウジでもそうだったがわんさかと山盛りにして出てくるのだ。結局、食べきれず、3分の1を残したまま、デザートを運んでくれるように言った。かわいい女の子だった。年のころは20か、いやあ、18かもしれない。コロンボでは見たこともない純朴さも持っている。デザートをテーブルに並べた。だが、これは自分たちが頼んだものではない。隣の席のものと間違えたらしい。そこで、すぐ、頼んだものを持ってくるように言いつけたのだが、なかなか出てこない。どうやら、オーダーが入っていなかったらしい。新しく作っているのだ。何てことだ。自分たちより遅く来た客が、先に食べ終わって帰って行くではないか。おまけにお酒にもありつけなかったし…。ええいっ、くそっ、あのウェートレスがいけないのだ。ボーっとして仕事をしているから。なぜか無性にイラついてきた。

 俺はその子を呼びつけて、ねちねちと説教し始めた。「俺たちが頼んだのはアイスクリームとフルーツが別々のもの。お金を払うとき何度も言ったじゃないか。何で、もっとしっかりしないんだ。」女の子はうつむいたまま唇をかんで下を向いていた。今にも泣き出しそうな顔をして、それをじっとこらえている。そんな女の子をさらに威圧してやろうと詰め寄る。すると、あの気弱な失恋男が俺の前に立ちはだかり、俺の顔面めがけてパンチを食らわせたのだった。
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キャンディ湖


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