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スリランカ通信(14) リフレッシュ in キャンディ(4)「独白」

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雨に煙るキャンディ

 旅の終わりも雨の日がいい。高野悦子が言ったわけではない。流れた涙をごまかせるからと言うわけでもない。ましてや雨具を忘れることがないからでもない。雨は人を包む羊水なのだ。カラカラに乾いた俺のような心にはその一滴が命の泉となる。

 人の弱みにつけ入り、もてあそび、自己満足の花を咲かせた俺に、最もふさわしい報酬を失恋男はくれたのだった。実は気づいていた。やつがウィートレスに色目を使っていたことを。それで、あえてウェートレスに意地悪をしたのだった。彼女には悪いことをした。直接、やつに当たるべきだったのだ。失恋という重い出来事を軽々しく扱うやつに説教してやるべきだったのだ。

 この失恋男、もともと成り行きで付き合ってきた飲み友達だ。信頼を置いていたとか、尊敬に値する人物だとか思っていたわけではない。

 もう限界だったのかもしれない、やつのわがままに付き合うのが。すぐ人を好きになって何もかも忘れて夢中になる。そんなやつをうらやましいと思いながらも、どこかで軽蔑していたのかもしれない。やつから何かを得られるとか、やつと一緒にいると時間を忘れるとか、そういうことが無くなっていた。一方的に自分の話しをして満足して帰るやつに愛想が尽きていたのかもしれない。やつの失恋話を聞いて俺は同情した。だが、どうしても同じように落ち込めなかったのだ。

 人が人を好きになるってどういうことなのだろう。もし、やつが本当にやつの彼女を愛しているのなら、彼女がやつを愛していなくてもいいんじゃないのか。彼女がやつを愛してくれないから、やつも彼女に対する愛が無くなってしまうというのか。それって、もともと、やつは彼女を愛しているのではなくて、彼女から愛されたいがための口実を作っていたに過ぎないんじゃないか。本当に愛していたと言うのなら、彼女がやつを好きじゃないとしても失恋なんかするはずがないじゃないか。

 まあ、世間では、自分が好きでも相手が好きでなくなっていたら、それは「失恋」というものだ。そんなことは分かっている。だけど、そんな恋愛って自分勝手すぎないか。そんなやつには本当は他人を愛する資格なんてないんだ。自分で自分を愛せないから、彼女に愛してもらいたかっただけじゃないのか。もし、やつが本当に自分を愛しているのなら、他人に自分を愛させようとすることはないはずだ。なぜって、他人に愛を強要するような自分を自分自身で好きになれるかい。彼女がどうであろうと、やつは彼女を愛している。それでいいじゃないか。

見返りを期待して人を好きになるわけじゃないだろう…。
とは言っても、好きになったら求めるか、やっぱり…。
もっと違う形があってもいいんじゃないかな…。

この場合、どうして特定の「だれか」なのだろう……。
どうして「その人」でなければだめなのだろうか……。

雨に煙る古都、キャンディ。
優しく人を包んでくれる街だ。

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コメント

失恋男の肖像権など少し気にしながら読ませていただきました。

普段の生活風景なども、写真とともに教えてくださるとうれしいです。
君にとっては既に「日常化」しているであろうさまざまなことが、日本にいる私たちにとっては新鮮な情報であったりするのです。街角の様子、ごはんのおかず、遊ぶ子供たち、君のお部屋の様子・・・。楽しみにしていますよ。

このところ、立て続けに人の心が信じられなくなるようなことがあり、やや落ち込んでいます。ビジネスにも直接関連する者達が当事者でしたからなおさらです。ある種の失恋かもしれませんね。

投稿: おさむ | 2008年9月12日 (金) 10時44分

青ちゃんのことを”アホヌマ”さんと呼ぶこの失恋男氏は、何歳なんだろうか。  二十代か三十代か?
まさか四十代ではないだろうけど。

異性を好きになる・・・事は良くある事だと思うし、現にある。
ただし愛する事・・となると中々無いように思うね。
仏教でいうところの「地上で生きる」生物(ナマモノ)としての人間の在りようとしては色んな理由で好きにはなるでしょう。

若い頃付き合っていた女性からよく”私のこと愛してる??”と訊かれる事とが在ったけど、その都度”うん、君のこと好きだよ”と返事してように記憶する。

しかしこの頃、”愛してる・・”という言葉の持つ意味が少しだけ実感できるように思う。

精神と肉体のバランスがとれて来ているのかもしれない。

それと、心身ともに力が有余っていると、”愛”も”好き”も関係なく異性との交流を求めるのかも・・・。

”愛”なのか”好き”なのか見境無く突き進む、そして勝手に”失恋”と決め込む・・・これは”未熟”という”若さ”の証明なのでは・・・。

考えようによっては、羨ましい。

ところで、青ちゃんの”好き”加減は、現在どんな感じなのかな???


投稿: kuranari | 2008年9月22日 (月) 13時10分

おさむちゃん、
自分が思っているほど、相手は思っていてくれなかったり、別の形の思いやりだったりして、うまくいかない。ビジネスも含めて人生は「関係性」だっちゃな。

身近なことっておしょすな。ときどき、ポロって出るのがいいんじゃないのかな。
人のうちのぞきみしても、大してかわりゃせんと思うけど・・・、若い女の子の部屋ならいざ知らず、おらの日常見たってどうかと思うけどもな。まあ、気が向いたらおらのヨガのポーズでも掲載すっぺかな。
(のぞくんだったら確か「東京一人暮らし」っていうブログ面白いと思うよ)

倉さん
「リフレッシュ~」では、好きも愛もごちゃまぜにして書いてるので微妙なニュアンスが伝わらなかったですな。貴君の言うとおり、「好き」と「愛」は違う。「すぎだ」とは勇気さえだせば言えるけど「愛してる」なんて言葉は口がゆがんじゃって、正しい発音ができない気がする。
好きだけど愛しているといえないこともあるし、愛してるけど好きとかの感情じゃない場合もある。
いつか、きちんと恋愛論をまとめてみたいね。
失恋男、肉体年齢はあまり関係ない気がする。精神年齢は20代でしょう。
俺の恋愛感情は全然成長しなくて30代でストップしたまま。自分の気持ちをもてあましている今日この頃です。

投稿: 青沼国夫 | 2008年9月24日 (水) 17時23分

青ちゃん、お元気ですか?

最近日本のTV番組(確かNHKのBS)で、スリランカの話が特集されてて、”キャンディ”を取り上げてました。
青ちゃんの旅行先の話の中で出てきた「町並み」や「寺院」等々、沢山登場してました。
スリランカは結構多くの民族がいるんですね。
そのTV番組とは全く関係ないけど、その番組をジックリ観たくてソファから下りてフローリングに寝転がってたら、起き上がった瞬間、”腰に鈍い違和感が走り、次いで激痛が走って”起き上がれなくなってしまった。

いわゆる”ぎっくり腰”なんだろうけど、今週月曜日のことで、木曜日になった今日も未だ痛みが治まらず、湿布と貼るホッカイロをつけて仕事してます。

腹に力が入らず、へっぴり腰で何とも格好悪い姿勢でうごめいてます。

数年前にも一度ひどいぎっくり腰を患ったけど・・・
お陰さまで、というか否応なく仕事以外は静かにしてます。

腰痛が治まったら、腹筋&背筋を鍛えなおして、腹圧を強くしようなどと思う今日この頃です。

もしかしたら、スリランカは現在治安が悪かったりしているのでしょうか?

”腰”は人間の要ですね。

青ちゃんも気をつけてください。

ではでは、また。

投稿: 倉成 | 2008年10月30日 (木) 15時29分

スリランカは多民族国家ですね。大きくはシンハラ族とタミール族に分かれるけど、ムーア人と呼ばれるムスリムの人たちや宗教まで巻き込めばヒンディやクリスチャンもいるし。山の中には電気を使わないで生活している原始人のような人たちもいるのです。従って言葉も様々で、公用語はシンハラ語とタミール語だけど、それをリンクするために英語が共通語になっていたりもする。日本より狭い国だけど、多様性という意味では国際的な国といえるでしょう。

腰痛、ぼくも腰痛もちです。1年に1回、疲労やストレスのため数日、動けないときがある。仲良くやるしかないと思っています、腰痛と。ぼくの休みは腰の具合によります。危ないときは腰が不安定になって「少し休め」といってくれるわけです。腰「体の要」ですね。大切にしましょう。要というのが、西に女というのも暗示的ですね。

スリランカ、去年より厳しい。火曜日28日はLTTEの飛行機が夜中の12時に飛んできて発電所を攻撃しました。ぼくは寝ていて分からなかったけど、親しくしているJICAの協力隊員が安否確認の連絡をくれました。しかし、こればっかりは、どう身を守るか、難しいのです。サウジでもそうだったけど、テロが日常化すると「交通事故」と同じ感覚になるのです。そのことがむしろ怖い。

投稿: 青沼国夫 | 2008年11月 1日 (土) 01時34分

君のブログの更新を心待ちにして毎朝チェックしています。心配していましたよ。コメント数が増えていたので嬉しいです。


「キャンディ」のTVは私も見ました。君のブログからの印象よりはにぎやかなところなのですね。「仏歯」が釈迦の左糸切り歯であることや、爆破事件のこと、そして民族問題、見入ってしまいました。

君の日常が覗き見たいわけではないのですよ、もちろん!
君の周囲の日常を通して異国の様子に触れたいのです。若い婦女子の様子ならなお結構!!!

父親が亡くなった年齢になりました。
身辺の整理をし始めました。

投稿: おさむ | 2008年11月 1日 (土) 10時04分

おさむちゃん

10月はいろんなことがあって、じっくり仕事に向かうこともブログに向かうこともできずにいました。原因は人間関係ですが、やはり人生の課題は人間関係。これをいかに制するか。みなさんのアドバイスをいただきたいところです。

実は新しい原稿と写真できていますが、今回掲載する記事の本人の最終許可を得ておらず、待っているところです。来週にはお届けできるかも。自分の日常であればいくらでもかけるのですが、これまでの経緯があり、ちょっと落ち込んでおり、気持ちを立て直すことができれば、バンバン発信できると思います。こんなことが書けるのだから傷は癒えている、時間の問題でしょう。

身辺整理、まだ早いのでは。。。

投稿: 青沼国夫 | 2008年11月 1日 (土) 13時07分

やはり、治安が良くないですか。
月並みだけど、気をつけてください。

人間年を重ねると、”しんどい事”が増える・・というか”しんどく感じる事”が多くなるような気が。

最近孤独感に苛まされる事があるんだけど、「現実に起きている事」とそれを感じ取る感性というか感じ方が、年々変わってきているようにも思われる。

どんなときも希望をもって前向きでいられるにはどうしたらいいのか・・・等と考えてしまいます。

自分の意思とは関係なく「生命の危機」を脅かされる環境にいきてないくせに、何故幸せを感じられないのだろうか・・・
かなり、”青くさい”話だけど、真面目に自問することがある。

だからという訳ではないけど、些細なものでもいい、”希望”に繋がることを自分の手で掘り起こす・・ことの素晴らしさ。

それは仕事であったり、創作であったり、あるいは家族や友人といった”属性”との関わり・・。

そう、その意味では、「人間関係」での問題は最も厳しいものの一つだと思う。

しかも他に逃げ場のある関係性ならまだしも、避け得ない相手との関係での問題はとても厳しい・・・。

最近、自分的には”究極の真理”があるとしても、その真理すら客観的に他人からみたら”相対的な価値観”かもしれない・・などと考えてみるようにしてます。

むしろ、自分が真から感応できる音楽や創作の世界の力を借りたり・・・

自分に限界みたいなものを感じたら、自分にない素晴らしいものを探して、そこに浸る・・・みたいな”逃げ場”を持つのもいいのではなどと感じます。

我々皆、もはや人生の残り時間を気にする世代です。
であるが故に、自分にはないもの、現在・過去問わず自分以外の誰かの存在から感じたり得られたりするものの前に「謙虚」になってみようかな・・・等と思う今日この頃です。

「腰痛」・・・とは、そうですね仲良くというか共存してゆくのが現実的かもしれないですね。

「西」から来た「女」と「月」を眺めたりしたり・・・何もかもどうでも良くなるかも知れないね。

投稿: 倉成 | 2008年11月 3日 (月) 14時55分

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