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2008年9月

スリランカ通信(14) リフレッシュ in キャンディ(4)「独白」

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雨に煙るキャンディ

 旅の終わりも雨の日がいい。高野悦子が言ったわけではない。流れた涙をごまかせるからと言うわけでもない。ましてや雨具を忘れることがないからでもない。雨は人を包む羊水なのだ。カラカラに乾いた俺のような心にはその一滴が命の泉となる。

 人の弱みにつけ入り、もてあそび、自己満足の花を咲かせた俺に、最もふさわしい報酬を失恋男はくれたのだった。実は気づいていた。やつがウィートレスに色目を使っていたことを。それで、あえてウェートレスに意地悪をしたのだった。彼女には悪いことをした。直接、やつに当たるべきだったのだ。失恋という重い出来事を軽々しく扱うやつに説教してやるべきだったのだ。

 この失恋男、もともと成り行きで付き合ってきた飲み友達だ。信頼を置いていたとか、尊敬に値する人物だとか思っていたわけではない。

 もう限界だったのかもしれない、やつのわがままに付き合うのが。すぐ人を好きになって何もかも忘れて夢中になる。そんなやつをうらやましいと思いながらも、どこかで軽蔑していたのかもしれない。やつから何かを得られるとか、やつと一緒にいると時間を忘れるとか、そういうことが無くなっていた。一方的に自分の話しをして満足して帰るやつに愛想が尽きていたのかもしれない。やつの失恋話を聞いて俺は同情した。だが、どうしても同じように落ち込めなかったのだ。

 人が人を好きになるってどういうことなのだろう。もし、やつが本当にやつの彼女を愛しているのなら、彼女がやつを愛していなくてもいいんじゃないのか。彼女がやつを愛してくれないから、やつも彼女に対する愛が無くなってしまうというのか。それって、もともと、やつは彼女を愛しているのではなくて、彼女から愛されたいがための口実を作っていたに過ぎないんじゃないか。本当に愛していたと言うのなら、彼女がやつを好きじゃないとしても失恋なんかするはずがないじゃないか。

 まあ、世間では、自分が好きでも相手が好きでなくなっていたら、それは「失恋」というものだ。そんなことは分かっている。だけど、そんな恋愛って自分勝手すぎないか。そんなやつには本当は他人を愛する資格なんてないんだ。自分で自分を愛せないから、彼女に愛してもらいたかっただけじゃないのか。もし、やつが本当に自分を愛しているのなら、他人に自分を愛させようとすることはないはずだ。なぜって、他人に愛を強要するような自分を自分自身で好きになれるかい。彼女がどうであろうと、やつは彼女を愛している。それでいいじゃないか。

見返りを期待して人を好きになるわけじゃないだろう…。
とは言っても、好きになったら求めるか、やっぱり…。
もっと違う形があってもいいんじゃないかな…。

この場合、どうして特定の「だれか」なのだろう……。
どうして「その人」でなければだめなのだろうか……。

雨に煙る古都、キャンディ。
優しく人を包んでくれる街だ。

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