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スリランカ通信(15) 人物オーライ??往来!?All right!!

Cyan

ディルさん


 人生の楽しみって何だろう。それは人それぞれ違う。だが、だれもが認める楽しみ、共通の楽しみ、それは「出会い」だと思う。世の中には自分と似たような人物が3人いるといわれるが、ある程度長く生きてくると同じタイプの人に出会う。よく見ると違うのだが、その人を見ていると遠い昔に出会ったあの人を思い出したりする。

 「一期一会」という言葉がある。何度も会っている人物であっても、その時の出会いはその瞬間限りのもの。それはいつも同じものではないから、大切にしようというものだ。海外に暮らしてもそれは同じだ。出会いはいろいろな方角から様々な時を経て、形を変えてやってくる。その瞬間を切り取ってみたいと思った。

 トップバッターはイチロウに匹敵する天才的言語のプレイヤーであるディルさん。

――今日はお忙しいところ、ありがとうございます。
デ「こちらこそ、こんな狭いブログにお招きいただき……少々きゅうくつですわね。」

――早速ですが、理想の男性は…
デ「それはもう、あおちゃんのように、やさしくて思いやりがあって頼りがいのない人ですわ、おほほ。」

――日本語が大変お上手ですが、
デ「あ~ら、そんなことはありません、まだまだです。高校で2年、大学で3年、日本でも3年ほど勉強させていただきましたので、まあ、人並みにはなってきたかとなあ、と。」

――子どものころはどんなお子さんでしたか。
デ「みんなからできる子と思われていて、そのイメージを守るために努力してきたというか、でも、もともと明るい性格だったと思いますので…。」

――その頃の夢は
デ「お医者さんになりたかったんです。困っている人を助けるような仕事をしたかったんですけど、でも、理科系がそこまで行かなくて、あきらめました。」

――日本語を学び始めたきっかけは
デ「高校の頃から言語に興味があっていくつか試みました。フランス語や中国語も勉強しました。でも、日本語が一番、親しみがもてたんです。」

――ご結婚なさっていますか。
デ「まあ、答えにくい質問ですこと。まだです、と言えば、殿方にもてないみたいですし、してます、と言えば恋のキューピットが逃げていきますし…、どうしましょう、困りましたわ。」

――???(気を取り直して)趣味とか特別に関心を持っていることはありますか。
デ「歌を聴くことです。特にシンハラ語の歌。やはり、意味が分かることが一番ですから。それと、やっぱり、教えることが好きですから、暇があるとそのことばかり考えていますね。」

――自分は何か他の人と違うなあと思うことがありますか。
デ「ええ、そうですねえ、なんというかなあ、いやな人と上手に付き合えないというか、話が合わない人とはだめですねえ。結構、みなさん、うまくやっているんでしょうけど、わたしはだめですね。」

――今、大切に思っていることは何ですか。
デ「学位です。日本の学位をとりたい。それと、やはり、教えること。学生に役立つものを上手に教えたいです。」

(インタビューを終えて)
ディルさんはケラニア大学の主任講師であり、名古屋大学の博士後期課程に在籍する院生でもある。明るくはきはきした性格は周りの教員や学生から親しまれ、頼りにされている。日本人の機微をも理解する日本語の達人でもある。彼女のリーダーシップにより学生たちは生き生きしていると周囲の評価も高い。彼女のような存在がスリランカの日本語教育を支えていく限り、将来は安心である。一日も早く学位を取り、日本語教育に専念できる日を心よりお待ち申し上げたい。

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

友達の友達は友達で、アオちゃん(みんなのように呼ばせてください)をつうじて、新しい「グローバルな出会い」がいっぱいだ。

君がいうように「同じようにのいうように、ほんと、何度も会っている人物であっても、その時の出会いはその瞬間限りのもの」だね。日々が出会い。イコール「人生は出会い」だ。
ありがとう。

投稿: ONKEI | 2008年11月12日 (水) 23時24分

私自身が鈍い人間で、それこそ様々なことに気が付くのがとても遅いヤツなんだとは、最近になって気が付き始めています。
自分がどんなタイプなのかは、正直なところ、さっぱりわかりません。よって、どんな人が自分に似ているかはわからないのです。

「頼りがいのない人」というのが一番いいな。

投稿: おさむ | 2008年11月13日 (木) 09時32分

青ちゃん、こんにちは!

僕の古い記憶では、青ちゃんはよくギターを弾きながら”美声”で歌を歌ってましたね。
時には当時流行のフォークだったり、あるいは自分で作詞作曲したオリジナルを・・・。

最近はいかがですか?
あるいは自分で歌わないまでも、好きな音楽に身を浸したり・・・といったことは?

自分の事でいうと、外で時々カラオケで歌うのは別として、いわゆる”あの頃のうた”のCDなど聴いてることがあります。

昔は、本当に歌の世界に没頭し、純粋に歌の世界に入り込めてたように思います。

深夜によく、数時間こうした世界に浸りきることがあります。

何だか理由のない”孤独感””孤立感”みたいな感傷にふけったり・・・。

単に年をとったでは済まない、得体のしれない感情・・・

その真の理由を探る為に、自分なりにシコシコ蠢いてます。

青ちゃんの「悩む力」をもっと聞かせて欲しいですね。


投稿: kuranari | 2008年11月18日 (火) 15時16分

オン様

初書きこですね。ありがとう。
いい出会い、したいですね。
そのためには、自分自身がいい人、
いわゆる魅力的な人でありたい。
自分を磨くとはどうすることでしょうね。

おさむちゃん

気がつくのが遅いと今頃気がついた・・・
おもしろいですね。
自分のことってなかなか分からないですね。
ましてやどんなタイプかなんて、
他人が勝手に決めてくれるものでしょう。
「頼りがいのない人」ぼくも気に入ってます。

くらさん

よく覚えていてくれましたね。
歌もギターも下手だったけど、
好きでした。
自分の思いを歌にするのが、
自分の思いに近い歌を歌うのが。

今も詩は時々書いています。
昔は吟遊詩人にあこがれてました。
でも、歌うことはなくなりましたね、あまり。
聞く方が多いです。
でも持ち合わせのCDがなくてクラッシックばかり。
昔のフォークソング聞きたいですね。
友川かずき、加川良、高田渡、友部正人
陽水、タクロウ、泉谷など。。。
なつかしい。
彼らの歌は自分の自己形成に随分影響していると思う。

悩むといえば、この3ヶ月間、悩みっぱなしで、
自分本来のペースを保てないでいるんです。
でもそんなときの方がいいアイディアが生まれたりするのかな。
充実感はあるのだけど、何か重い荷物を抱えながら歩いているみたいで、歳を経るごとに青くなっていくみたいで、、、
悟れないでいるんです。

投稿: 青沼国夫 | 2008年11月18日 (火) 19時26分

青ちゃん、
年を重ねて、なおかつ”青くなる”。
好いじゃないですか。

生きていると、しかも男子たるもの何らかの形で「仕事」を通じて社会と関わっているわけで、”みすぎよすぎ”が伴い、純粋でいる事が邪魔になる時もあると思う。

そんな時でも、青い自分を持ち永らえる・・・事は、頼まれてする事でも出来る事でもなく、自分自身の「性」だったり「運命」みたいな気もします。

自分の中の”青さ”を自覚する諸兄の方々・・・、
僕の勘違いでなければ、皆に共通する本音のような気がします。

孤独感、孤立感を撥ね退けて、同時代人の共通課題として受け止めたいですね。

最後に一言、青ちゃんは”恋愛”という”青さ”を自覚してませんか?
最近自分の想像力にも自信がなくなり、アテズッポですが。

僕自身は最近、好い意味で「覚悟」を固めて生き始めているつもりです。

ところで、このコーナー、こんな感じでいいのでしょうか?

もし差し支えなければ、本音を沢山書きたい
伝えたい、と思いますが・・・。

青ちゃん、そして皆さん、いかがでしょうか。


投稿: kuranari | 2008年11月20日 (木) 18時58分

倉さん

ありがとう、救われます。
いいんじゃないですかね。
思いつくままさらけ出して行きたいですね。
「覚悟」ぼくも決めたい、いや決めざるを得なくなりつつある。
だが、まだ、あいまい性に浸っていたい気もするけど。

アテズッポ、当たり!!!
ただ、どうも自分に自信が持てなくなる。
振り回されているだけなんです。
それってちゃんとした恋愛じゃないなあと。
生活に根付いた恋愛じゃないと、
恋愛に押しつぶされると言うか、
やはり、その辺を克服する必要があるけど、
けど、なんですね。。。

投稿: 青沼国夫 | 2008年11月22日 (土) 02時11分

青ちゃん、

「生活に根づいた恋愛」・・・
自分らの年齢になると、確かにそうでない場合は、いわゆる実感とか現実感という意味では空虚なものになりかけない。

ただ、曖昧さみたいなものを残すというか伴うことも、強ち否定しかくないですね。

だって生活そのものは、自分の感情や思いとは関係なく突きつけられる事実だし。

「現実」があるから「想像」や「夢想」「理想」があるわけで。

人間としての自分を許せるならば、そしてそれなりに現実と闘っているなら、自分の感情を自由に解き放つのは寧ろ自分らしさ・・なのではないでしょうか。

困難や、迷い、矛盾等がない生き方、生き様が必ずしも好いとは思いません。

寧ろ、究極の選択を自分に突き付けるような”迷い””悩み”の中からしか、人類いや少なくともその人本来の人格は抽出されないのでは、とも思います。

また一方で、自分を自由に泳がせるイージーさもあってよいと思いますよ。

考えるだけ考え、やるだけやったら、後は身も心も健康にあれば人間として立派だと思います。


なんだか、自分に言い聞かせているようだなあ。

投稿: kuranari | 2008年11月22日 (土) 10時11分

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