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スリランカ通信(19)           「ケラニア大学騒動記」         きみは催涙ガスを浴びせられたことがあるか

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ケラニア大学ゲート

 スリランカの大学ではどこもかしこも、ストライキがあったり、ケンカがあったり、イジメがあったりする。施設が不備だとか、講義がしっかりなされていないとか、大学側の問題は確かにある。だが、最も大きな学生の不満は「差別」に対してのようである。往々にしてコロンボを中心とした都会の住人はさまざまな恩恵を受けているようである。それに対して地方出身の学生は妬み?を持ち、何かにつけて抗議行動を起こすということだ。自治会の中の権力争いもある。その他にも政党のセクトが関係していたりするケースもあり、複雑に絡み合って事件が起きる。私は2007年にケラニア大学に赴任して4タームをこなしてきたが、1つの学期中で1度もスムーズに授業が進んだためしがない。

 新入生を迎える学期始めは必ずイジメがある。このイジメは堂々と公道で行われる。新入生の特に女子学生が先輩の男子学生に学内の路上で呼び止められ、1時間、2時間と説教される。この時期、大学を訪問すればすぐ分かる。歩道側に先輩の学生たち(その数、数十人)が立ち並び、新入生が通るのを待ち構えている。そして、次々と呼び止めて、服装や髪形にいちゃもんつけたり、態度やマナーについて訓示を垂れたりする。そういう連中ほどマナーという言葉からは程遠い輩なのだが……。とにかく、新入生としては授業に行きたくても行けない。頭をうなだれてじっと聞いているしかない。無視したら後が怖い。このイジメはケラニア大学だけではなくスリランカの複数の大学の悪習になっている。このために大学に来なくなり、ついには退学した学生もいるとのことだ。つまらない虚栄心や先輩風の犠牲になって人生を狂わされる人もいるのである。このイジメ、少なくても1カ月以上続く。大学側も放って置いているわけではなさそうだ(と思いたい)が、これといった決め手を出せずにいる。

 昨年は学期の途中で学生同士のケンカがあった。理学部と人文学部の学生の争いだった。原因は先に紹介したイジメについて両学部の「意見の食い違い」である。大学側は制裁として2週間大学を閉鎖した。その禁が解かれて1カ月後、その処分に不満を持った学生たちのストライキがあり、これまた、1週間、休講を余儀なくされた。

 今回は数日前から前兆があった。学生集会が開かれた。大学周辺を警官がうろつき学生に質問してメモを取ったりしていた。小さなけんかも起きていた。2月5日は1000人ほどの学生が集まった。その中で起きた騒動である。

 午後の講義を終えた。環境問題について学生らと議論を戦わせた後だった。私の学生たちは地球温暖化や環境汚染にも強く関心を持っている、政府の対策がどこまで進んでいるか、我々個人がどんなことができるかといったテーマで白熱した議論となり、私自身も満足して終わったところだった。教室から講師室へ戻る途中で、目が痛くなる。他の人たちも目を押さえたり、口を押さえたりしている。ハンカチで涙を拭いながら顔をゆがめている人もいる。異臭も感じた。なんだ、これは?異変が起きているぞ!!

 講師室で事情を聴く。大学生同士のケンカがおきて、それを止めに入った警官が催涙ガスを撒き散らしたようである。時々、「キャアー」という悲鳴と共に、どどっと押し寄せる足音が聞こえる。建物から外へ出た学生たちが、催涙ガスの投下を浴びて校舎内に逃げ戻って来るのだ。しかし、ガスは煙幕となって風に乗り、我々の眼を赤くする。窓からも霧のようなガスが室内に押し寄せてくる。その度に目が痛くなる。数回、そんなことが繰り返されて後、少し静かになった。

 4時ごろ、お坊さん先生の「少し落ち着いたようだ。今なら出られるかもしれない」という言葉を信じて、私は同僚のKY先生と退出態勢に入る。KY先生は同僚といっても1周り年上。同郷のよしみもあり敬意を表している。岩手出身である。何と奇遇であることか。この先生、細面の優男なのであまり頼りになりそうもないが、一人より二人の方が心強い。一緒に騒動の中を突破することにした。校舎内外に学生がうろうろしている。もちろん授業にならない。他の先生たちはじっと動かず待機。帰り支度が整い、いよいよ出発。

 さざ波、うつろいでいる学生たちを掻き分け外へ出る。人だかりの山だ。ここもまた掻き分けて前へ進む。後、10数メートルで最前線へ出る、というところで「Don’t go!!」という声がした。事務員に危ないから行くなと注意されたのである。その声を聞いた私はKY先生を引き止めようとするが、彼はわき目も振らずどんどん進んでいく。私もしかたなく腹をくくって後についていく。ついに最前線に出た。ゲートが閉められている。そのゲートを挟んで学生たちと警官らがにらみ合っていた。学生の数100名ぐらいか、警官は20名足らず。学生たちは警官に向かって口々に罵声をあびせている。それに食いつくかのように警官も脅しをかけている。その間に挟まれた緩衝地帯、わずか10メートル。警官らがいるゲートの外側に向かって我らは進む。「我ら」というより、「KY先生の堂々とした姿の後ろを私は影のようにコソコソ追い従う」というのが正しい表現なのだが…。前門のトラ、警官らの鋭い視線が怖い。目を合わせないように、ひたすらKY先生の身体を盾にしながら進む。後門の狼たち、学生の罵声が背後から聞こえる。まるで、その罵声が自分に浴びせられているようで足がひるんでしまう。KY先生に寄りすがりながら何とかゲートの狭い隙間を通過した。

 一安心。ゲートを渡り終わったときは、思わず小走りに……。情けない自分の姿をみてしまったのだった。それにしても、こうした膠着状態とはいえ、一触発の場面を、よく泳ぎきったものである。人文学部の敷地は警官に包囲され、過激派学生の後にいる一般学生も、校舎内に残っている教員たちも、帰りたくても帰れず、うろうろするばかりの所だったのである。そんな中を堂々と通り抜けたKY先生、全共闘世代だった。「昔を思い出すなあ」と言いながら、ひょうひょうと学生、警官のにらみ合いの中を過ぎた。あちきもその後をコソコソと。我が先輩の腹の据わった態度、奥ゆかしくもたくましい魂を見せ付けられたのだった。

 バス通りからキャンパスに入る側道には石ころ、コンクリートなどの瓦礫が散乱している。学生たちと警官らが激しくやりあった跡が生々しく残っていた。KY先生、「日本の3,40年前だなあ」ボソッとつぶやく。「イチゴ白書」がフラッシュバックする。我が学生時代にも機動隊と学生の衝突があった。目の当たりにしている。シュプレヒコール、ジグザグデモ、大衆団交、そんな言葉が頭をよぎる。KY先生と私は、大学の前に居座っている仏像を脇目で見ながら、メインロードのバス停に向かう帰路を急いだ。

 後日、騒動の原因を聞いた。実は発端の真相はいまだに不明。13名の学生が逮捕された(一週間は確実に拘留されるとか)。そのうち8名が女子大生(6名が1年生)。報道陣が駆けつけ、テレビでも放映された。警官の行きすぎもあったらしい。必要以上の暴行。女子寮への男警官の侵入。(スリランカの法律では女子寮に踏み込む際は女の警察官でなければいけないことになっている。)このことが学生たちの怒りを倍化し騒動が激化した模様である。催涙ガス弾は20発以上撃ち込まれたとのことだ。

注:KY先生は「空気が読めない」先生ではありません。イニシャルです。念のため。

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学生と警官が衝突した場所

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