« 2009年6月 | トップページ | 2010年10月 »

2009年10月

スリランカ通信(21)「故郷」

Photo

スリランカの田園

「山のあなたの空遠く、幸いすむと人の言う…」(カール・ブッセ)

 日本を出て22年、岩手を離れて36年になる。来年は母校の創立100周年記念行事があるという。
 歴史と伝統:日々の積み重ねの中で培われてくるものであるからこそ大切にされるべきもの。だが、振り返ることが必ずしも幸せの彼方に導かれるとは限らない。忘れたい過去、触れられたくない過去というものもあるからだ。ただ、自分勝手に歴史や伝統を捻じ曲げて都合の良い解釈だけはすまいと思う。すべてを捨象してしまったお祭り騒ぎの記念行事にはなってほしくない。これまでの100年の歩み、その営為を真摯に見つめなおす機会とするのはいかがだろうか。故郷:今のぼくには帰り住みつく場所がない。住みつきたい候補地はいくつかある。タイのチェンマイ、フランスのトゥール、ここスリランカのキャンディもいい。だが、いまだに彷徨っている。落ちつく場所がないぼくは不幸なのだろうか。青い鳥を追いかけて故郷を飛び出したのはいいけれど「山のあな、あな、あな…」とどもりながら、落とし穴にはまってしまっているのかもしれない。 
 

 「故郷は遠きにありて思ふもの、そして悲しく歌ふもの…」と詠んだ犀星ほど、故郷に対する辛く複雑な思いはぼくにはない。だが、故郷を離れて暮らすものの心境、その真髄を実に見事にとらえた詩だと思う。
 「故郷」はそこを離れた瞬間から、必然的に意識されてくる言葉だ。帰るべき「ところ」であり、しかし、帰っていけない「場所」なのだ。(「帰っていけない」は「行くことができない」と「帰ってはだめ」という両義性を持つ。)情念としての「ところ」と現実の「場所」との葛藤の中で「悲しく歌われる」ものが「故郷」なのだろう。 
 

 「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川…」心が洗われるような歌、「故郷」。だが、今、現実の故郷には「かの山」も「かの川」もない。蛍も住めない世界になっているらしい。確かに子供のころ遊んだ川がなくなっている。狭苦しい水路に変身していた。
 近々、高校時代の同級生が講演をする。やはり同じ高校の他の同級生が運営する掲示板で知った。講演者は○命△大学教授のK.O君。なんでもノックアウトするからK.O君というのではない。ただのイニシャルにすぎない。彼は心優しいスポーツマン。もちろん学校の成績もNO.1だった。同級生がやる講演だから参加するというだけではなく、彼の仕事に注目したい。エコロジカルな視点を持つ彼の研究は、日本の壊れてしまった自然をよみがえらせるきっかけとなるかもしれない。少なくてもヒントを提供してくれるはずだ。 

 
 今のところ、ヴァーチャルな世界でしか、故郷を感得できない。同級生のあの掲示板が、最も故郷のにおいがする。 

「ふるさとの訛りなつかし掲示板、人眠る夜そを読みにいく」青沼啄木

1_2

田舎の駄菓子屋さん

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2010年10月 »